秘密基地のパパから「空気に殺される」のコメント頂きました。

寄稿

私は結婚がしたい、とふと思い立ち、連絡先を存じ上げている独身女性に片っ端
からプロポーズをしてみたところ、
一人の女性が投網にぴちゃぴちゃぱちゃぱちゃと引っ掛かり、ああ、これが運命
だ、これこそが勝新太郎
言う電気菩薩の思し召しなのだ、と私の脳漿、否、全細胞が活性化するような心
持ちだったわけである。
ここまでは一呼吸で。
ここに暗号は無い。
ここから本文というわけでも無い。
満員電車の中で私は今ここにはいないここにはいない桃源郷の酒池肉林の真ん中
で退屈しのぎに見ている夢。
解釈法である現在の日本のあらゆる法律を一様に適用するためには、執行側の全
ての悪意を取り去る必要がある。
特に憲法に解釈などあってはならないはずである。万人が文字通りの意味で捉え
る事が出来て然るべきであって、
立場の違いや主義主張などという些事に左右されるものであってはならない。
何の疑問も持たせずに国家を規定する以上、施政者は常にこの点で重大な責を負
う。三権が分立しているのならば良し。
ではあらゆるものが曖昧な国で私達を守っているものは一体何なのか。お互いの
配慮だろうか?
暴力というものは身体から離れるほど罪悪感は薄れていく。資本主義における貨
幣とは暴力である。
民草を馬鹿にした最も性質の悪い暴力である。そこに配慮は在りや?無しや?
原子力爆弾に反対し、チベットに対する中国軍部の仕打ちに抗議をし、中東問題
をTVのコメンテーターのように
語る人々が、何故同じ言葉同じ姿勢を持って貨幣の本質について言及しないのか

自らが無意識の内に奴隷となっている点は徹底的に無意識のままにおき、奴隷は
奴隷のまま、奴隷として人生を終える。
がははと笑い飛ばす胆力があればまだ救いがあるような。いやしかし。だがしか
し?
たまらなくヒトが好きなのか嫌いなのかよくわからない境地に立って尚。満員電
車で放屁する馬鹿者がいたとしても。
理不尽な暴力から己が身を守る手段としての創作活動。そんな位置付け意味付け
には本質的な意味など無い。
彼が何を考えているかなんて考えなくてよろしい。ただ、活目せよ。

閑話休題



秘密基地 パパ