サミュエルエルジャクソンのマザファッカにしびれた

Mr.ブレインの最後は誘導尋問だった。ショックだった。てっきり脳がこう言ってんだから、お前の言い分など関係ない!逮捕!という感じで事件解決するようなドラマと思っていたんだけど、最後は脳科学ではなく誘導尋問で、そうか、やっぱり脳みそ万能主義的なSFでは駄目か、そういったところにはリアリズムがまだ必要か、そんなことを前提に人間を裁くなんてまだ許されないか、なんてつまらないニューマニズムだろうかなどと考えたりもしたけど、あれだけ人が死んだり街が爆破されたりしてても、結局はっきりさせなくてはならないのは脳のことなんか分かっても、やっぱり誘導尋問か、こんなことばっか言っても仕方ないがげんなりしてしまい、きっとみんなこうやってネットを使うんだろうな、それはそれでゴミだななんて思って、ここで「みんな」なんて言って、もうすっかり自らの内に暗黙の大前提ができてしまう。それは今僕が脳みそで考えた不特定多数の誰かで、そんなものたちの顔を知るすべがあったとしても、今僕が思い描くのは言わば怪物のような顔をした、「みんな」の模造、それはすでにそこにいるはずの誰かとは違うな、などと白紙の前でのこの戯れが、唯一文章を書いたり言葉を発したりするときの原動力だなと思った。