日記

橋の下の葬儀上映終わった

友人たちが来てくれた。今一緒に脚本など書いているかっちゃんとニッポンコネクションで知り合ったジュリアンと39円でビール飲みながらいろいろ話した。オムとかサンとか。

牛のリベンジモノ

身内でのバーベキュー大会が行われた。厚木で屠殺場の近くに住んでいるという弟はここ数ヶ月肉に対する嫌悪感が甚だしくバーベキュー大会を事態した(というか単に眠かったとかそういうことかもしれない)弟の帰宅後、妹は肉あと3枚しか残ってないよという…

ノア・バームバックのマーゴットウェディングを数十回みた。えげつないことしてるのに、それは見せかけだし、なげやりな態度で軽々しく描かれる細部が素晴らしいし、みてる途中はずっと宙吊りのままでいることができるし、だからまた最初からみる必要があっ…

上映会!「橋の下の葬儀」 温知な人々の上映会vol.1〜夏の余の夢〜にて

地元、茨城県日立市で家族と共に撮ったドラマで車上生活をしている中年の兄弟の話。少し暗い。友人はファンタジーだね、と言った。それもそのはずいつも映画の中にはギャグをいれているからだ。1番のギャグは実家で父母を助監督としてこき使い、兄弟を仕上…

たぶん悪魔が  ロベール・ブレッソン監督

生涯、最も感銘をうけました。

ロベール・ブレッソン弾劾しよっ。

ブレッソンは音と映像のリレーだと言った。最近、すべての日本映画、もしくは吹き替えの洋画はすべてブレッソンのいうシネマトグラフに強制的に回帰させられていると思っている。ブレッソンはトーキーが沈黙を発明した。とも言った。ブレッソンは「観客はす…

なぜロメロがダイアリー・オブ・ザ・デッドを撮らなければならなかったか。

最近、デジタルビデオ撮影のスプラッターモノをよくみる。監督・脚本マイケル・ホフマン・ ジュニア。確か編集も。編集兼任で思い出す是枝裕和。「歩いても歩いても」あの開き直った芝居とどうでもいいカット割り。とは違う。北野武風でもない。きっと僕らと…

イングロリアス・バスターズをみた!

客が僕の他におばさん2人組とアイアンメイデンのTシャツを着たおじさんだけだった。ヒトラーで一緒に爆笑したおばさん。彼女のためにも映画が作れるかもしれないと思った。

リメイク映画にうんざりするって言うのにうんざりする。今夜ドリームキャッチャー放映。最高の見せかけ。

セルジュ・ダネー(ザッピング専門家) ニュースやドラマ、CM、音楽クリップを批評し新聞にコラムを執筆。「強いられたモンタージュ」 ダネーはアンドレバザンの再評価(リヴェット経由) ドゥルーズへの影響 イマージュを奪い去り隠蔽する装置とするとして…

日本人には旧約聖書的な「主人」は存在せず、イザヤ・ベンダサンの著作「日本教徒」によると日本は無宗教ではなく、日本教徒であると言う。それは「人間らしさ」「人間味」と言った言い方にもみられる神学ならぬ人間学、人間信仰で、例えば、日本人がキリス…

弁天池という池がある。昨日の続き

住宅地の中に。国分寺もお鷹の道に雰囲気が似ている。 金魚がたくさんいた。水鉄砲で遊んでいる少年を捕まえて記念撮影をしようとしたが丁重に断られる。 おもいでのフルーツ屋。この店の長男は弟と名前が同じ。

訳あって写真搭載

映画監督・池田将氏の次回作を地元日立で撮影するということでお手伝い。 シビックセンター前の野外劇場とパティオモール。不動産屋、池、あと基地となる長屋などの情報を集めてます。長屋を格安で借りれるかもしれない。業務連絡。

『素人アワー』という映画がCREAM ヨコハマ国際映像祭2009 の一次通過したが上映されるかは不明。是非上映されたし。

24シリーズをネットで観る人とテレビで観る人どっちが多いだろう。僕はジャック・バウアーから映画を学んだ。デビット・リンチのブルーベルベットのデニス・ホッパー。悪魔のいけにえ2のデニス・ホッパーではない。24シーズン1の悪役のデニス・ホッパ…

ギードゥボール特集は見逃せない

故意にこれを読んで数分間はこの続きを書くとか本を読むとかトイレにいくとかはさておきいよいよ1時間前存在の前に不動の自己証明となる行為を懇願したおのれの存在を思う。不動、あのときはそうだった。一千の瞬間にも自在の間の中に留まることを選んだ主…

死なない登場人物について、死ぬ前に死ぬ。

「クイーンオブヴァンパイア」の吸血鬼(レスタト)がロックバンドと手を組んで企てたのはロックスターになることだ。バンド『ヴァンパイアレスタト』はたった数カットでビックバンドになり(誰も彼が吸血鬼とは知らないがファンは吸血鬼的な吸血鬼を崇拝す…

川部良太監督作品「そこにあるあいだ」を何度か観た後。宙づりのまま。

そこにあるいくつかの事物は、事実として映画内で「幅」を示す。それは対義的に、人間と人間、人間と場所、場所と場所、場所と虚構、虚構と虚構というふうな幅で、何もこういった横の地平だけでなく、垂直的な対義もあり、空と地などでも示されている訳だが…

縄文かコーカソイドか

映画は読み物か。映画を見る。映画の聞く。しっくり来ない。テクストが喚起する色と匂いと響き。テクストが専ら映像的で映画はテクスト的かもしれない。この区別がそもそも愚劣であるが、映画上での優位性を論ずる遊びは楽しい。文字どうりの意味から潜在的…

アントニオーニの夜とゴダールの軽蔑について書きたいがそれは後日。

感傷的な気分のとき、限りなく1人でいる時間の中で他者の存在を噛みしめている。どうしようもなく孤独であるわけではない。何ものかへ向かって個人が個人の内に語る言葉ではなく、語り得ないことを個人の内から個人の外へ語る瞬間の絶えざる反復が個人から…

生産者としての映画人

映画史に手をかした懐古主義的な映画人が現代の映画人を読むときの中傷は映画の区別だ。便宜の上でアーカイブ化されたジャンルの列挙が批評だと信ずる者がいる。それは襞の切断。多種多様な分岐を切断を強要する愚劣はこのような主体性に満足することだ。少…

秘密基地はカストラート。

秘密基地の音楽は自家カストラートを施した教会なき教会音楽と言えるかもしれない。秘密基地の新作CD『全日本秘密基地連合』を聞きながらそう思った。 安易な創造、と、ここで総括することにする一連の愚劣を弾劾することすら已然として愚劣を愚劣のままに留…

サミュエルエルジャクソンのマザファッカにしびれた

Mr.ブレインの最後は誘導尋問だった。ショックだった。てっきり脳がこう言ってんだから、お前の言い分など関係ない!逮捕!という感じで事件解決するようなドラマと思っていたんだけど、最後は脳科学ではなく誘導尋問で、そうか、やっぱり脳みそ万能主義的な…

それは誰もが身に覚えのない映画の話。

逸脱した映画史を形作ること、それが映画の上映活動を行っていく上で考えたことだ。映画をみせなくてはならないと差し迫った時、そこで映画産業ということより貨幣経済そのものを考えずにはいられなかった。確固たる前提。それを克服することなどと考えるわ…

vo1終了。次回はvo2。

先日の個展に来場して頂いた方たちに感謝しています。人前で話すことに慣れていないというだけでは言い訳にならないほど意味不明なことをしゃべり続けたものだから、なんのこっちゃわからんという方が多数であったように思う。何より池田将さんや川部良太さ…

川部良太映画個展は3月21日、22日にgallery Archipelagoで行われる。

川部良太映画個展は3月21日、22日にgallery Archipelagoで行われる。http://www.archi-pelago.net/main.html 残念なことだが、僕の個展では川部良太さんと池田将さんの映画を上映することはない。作家会議に客としてやってくるという立場というか、ゲス…

です ます でして 空気に殺される

である。であって。日常会話の場合、です、ます。自分が発する言葉に明らかな違和感を持ちながらも不自然に使ってるふりをしてしまう言葉の数々がどこから生まれて来るか考えてみるのだ。のだ。ズラ。それもまた空気的な権威であるなどと今は言いたくないが…